大学都市オックスフォード(1999年2月)

学生デモで大学授業料の有料化に抗議

ブレア政権の教育改革

英国のブレア労働党政権の教育改革が、大学都市オックスフォードを揺るがしている。大学の大衆化に対応して、ブレア政権は1998年秋の新学期から、大学に授業料制度を導入した。新入生は年間1000ポンド(約20万円)の授業料を払わねばならなくなった。

「教育は無料で」
6人の学生が授業料不払いで抵抗

ケンブリッジとともにこの国最古の伝統を誇るオックスフォード大学では、6人の学生が授業料不払いで抵抗、それを支持する2000人規模の学生デモも行われ、静かな学園都市に「教育は無料で」のプラカードが揺れ、「ブレアは保守党と同じ」のスローガンが響き渡った。

大学側「支払わなければ、退学処分も」
不払い学生支援デモ

6人は授業料支払い期限の1999年1月中旬が過ぎても不払いを続けたが、大学側が「支払わなければ、退学処分も」と警告。“殉教者”になるつもりのない6人はこのほど、支払いに応じた。その中の1人で、1ポンド・コインばかり1000個で授業料を支払ったケイト・アトキンソンさん(18)は、「不払いは問題提起。闘いは終わったわけではない。別の形で続けたい」と話す。1月下旬の不払い学生支援デモを呼びかけたオックスフォード大学の学生連合も次のキャンペーンを検討中だ。

ブレア政権の授業料導入
タダの大学教育は無理

ブレア政権の授業料導入は、受益者負担の原則の適用で、授業料収入で大学の質的充実とともに、量的拡大をはかるのが狙い。エリート養成の場だった英国の大学も、大衆化が確実に進んでいる。半分近くが大学(短大を含む)に進学している日本に比べれば、まだまだとも言えるが、20年前に12%だった英国の進学率は、今や3割を超えた。大学は公立で、授業料は無料だったが、財政的にもタダの大学教育は無理となっており、保守党政権時代から授業料導入問題が浮上していた。

日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科社会人へ起業へ熱く(2001年5月、産経新聞)

日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科(NBS)

画期的な学びのスタイル

日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科(NBS)は、実務を体験した社会人が、仕事と両立させながら、あるいは新たな人生の出発の場とするための画期的な学びのスタイルを打ち出した。1999年に開講して2年目。「理論だけでなく、修了までに自分で何か起業する。この他校にない特色が私たちの予想以上に発揮されています」(ベンチャー・ビジネス・コース主任、柳下和夫教授)というNBSの活気の源泉に迫ってみる。

テクノロジー・マネジメント・コース杉野昇教授
授業拝見

身近なヒントに開花の芽アイデアがプランに育つ

テクノロジー・マネジメント・コースの杉野昇教授の授業を聴講した。2001年4月入学の1年生を対象にした「戦略的情報技術」の授業の6回目。

成功と失敗の分岐点など

前半は教授自身が集めたデータをもとに「電子商取引の新しい動向」や「米国のカンパニー上位50社」について報告。最新の事例に基づいて成功と失敗の分岐点などが明確に浮かび上がる。

この後、配布されたテキストの分量は雑誌の長編リポートを上回る。

ブレークスルー

「自分のキャリアプランの中で、ITを利用してどういうブレークスルーをしてみたいかを話してください。eカンパニーは今、クローズアップされている成功事例だけじゃない。皆さんの周辺には多くのヒントがあるはずです」

11人からさまざまな報告

女性2人を含む11人からさまざまな報告があった。

「各医療機関に分散している患者の個人情報を1カ所に集中し、外出先で救急医療を受けるときに役立てられないか」

「趣味の会などのサークルをネットでつなぎ、結婚相談所や自宅でできるビジネスにまで機能を広げる」

「機種が異なるため開けなかったeメールを転送させ、変換を引き受けるビジネスは?」

「糖尿病のような数値的自己管理が必要な人のために、携帯端末を使った自己診断と管理システムを提供する」…。

教授の短いが鋭い質問

その間、教授は「マーケティングは?」「収益性は?」など短いが鋭い質問を発するだけ。このような発表を重ねるうちに次第に具体的な形が見えてきて、ビジネスプランが組み上がる。

「製造業などと違い、eビジネスは仕事を離れて個々の趣味の領域から発生しやすい。2001年5月16日のアイデアも大きく開花する可能性ありです」と杉野教授は楽しげだった。

教員紹介

すぎの・のぼる1960年(昭和35年)東大工学部卒。カリフォルニア大バークレー校で電気工学、コンピューター科博士課程修了。1959年三菱総研取締役。常務を経てセラミ会長。『ネット革命が創る21世紀の新市場』『モバイルがわかる本』など著書、学術論文多数。

柳下教授の研究室
自分の授業で理論実証教員も院生も意欲満々

柳下教授の研究室は、院生たちからのビジネスプランとその資料があふれている。 ある院生はキューバの民族音楽サルサにのめり込み、CDなど版権ビジネスだけでなくイベントも運営する会社を立ち上げつつある。好きなスキーを1年中楽しみたいという個人的発想から、南・北両半球でスキー施設を展開するプランを実現しかかっている人もいる。

ビジネス英語教育の実現

大手石油会社の元部長はNBSでビジネス英語教育をプラン化していたが、たまたま院生仲間から閉鎖した英語学校を紹介され、そこを引き継いで実現させつつある。2001年の修了予定者には、1社を起業し2社目のプランに取りかかっている例も。

恵まれた環境

「市ケ谷という都心にあるから情報が集まりやすい。国際的な人の交流があるから、ビジネスの立ち上げには恵まれた環境です。院生も意欲的で在籍111人中、現職の社長が8人もいます」

「イー・アソシエイツ」

柳下教授が役員になって、IR(投資家向け企業広報活動)ポータルサイト事業などを行う「イー・アソシエイツ」という会社を興してもいる。

「自分も事業をして初めて理論が実証できる。失敗例も隠さずに報告します」

教員紹介

やなぎした・かずお1959年(昭和34年)京大理学部物理学科卒。日本原子力研究所原子炉研修所高級課程修了、神戸大経営学部卒。三菱電機開発本部でソフトサイエンス・グループリーダー研究主監、金沢工大経営工学科教授などを歴任。

マイルズ・ドッド客員教授
現場の体験が講義の裏付け

授業の中で必ず自作の漫画入りの図表を使う。たとえば多くのサムライが立派な船に乗り込んで同じ方向を眺めている図と、小さな漁船が同じ漁場で思い思いに操業している図の対比。

日本の会社・欧米の会社

「サムライの乗った船は日本の会社。馬力はあるが、舵を切り替えるのに時間を要し、乗組員の自己責任感は薄い。欧米の会社は社員同士が自己責任をかけて競り合っているんです」

問題のポイントを指摘

まず問題のポイントを指摘してから、最近の企業や経営者の動向に話題を広げる。ロンドン、東京、香港、シンガポール、ブラジル、西アフリカなど国際ビジネスの現場で積んできた体験が講義の裏づけとなる。

自己経営の知恵を提供

「私の役目は各人に対して具体的、日常的な自己経営の知恵を提供すること。対象は現在の仕事の延長線上に新しい道を模索している人から、リタイア後、もう一仕事しようという人まで年齢や職歴を問いません。むしろ職業を確立し、豊富な経験をもつ人がビジネススクールに学ぶのが有益です」

経営者マインド

多くの院生に経営者マインドがみられるのを喜びながら、「いま準備できる資金をどう活用するか。常にキャッシュフローを念頭に置くことが必要です」

教授紹介

マイルズ・ドッド英国オックスフォード大で法律を専攻。ロンドンの三井OSKラインズ副支配人、シンガポールのノーマンバルクシッピング極東代表、東京のスターシッピングA/S副社長などを歴任。担当は「グローバル・ビジネス・マネジメントI」。

塚田典子助教授
今の日本に必要な「老年学」

「私自身も夢多き情熱をもった社会人学生でした」。大学卒業後、小学校の教員を9カ月。母校の大学院に学んでから5年間中学校の教壇に立ったが、かねてからの夢だった英語を生かして勉強をしたいと30歳で渡米。かなりの冒険だった。

ジェロントロジー(老年学)

英語学校で半年間学んだ後、恩師の言葉でジェロントロジー(老年学)という新しい学問領域を学びにオハイオ州立大、マイアミ大へ。「少子高齢社会を迎える日本には必要な学問だと思いました。修士号を取得してみると、国際比較研究のためには博士号の必要性を感じて」UCLA(カリフォルニア大ロサンゼルス校)の博士課程へ。計約9年間。

グローバル・ビジネス研究科の助手

帰国後、グローバル・ビジネス研究科の助手を経て2001年から少子高齢社会論、ヘルス&ソーシャル・ケア・リサーチなどの講座を担当。院生は医師、看護婦、会社員、自営業、研究所員など職業も多様で、文字どおりシニア年代も。

役割

「教えられることの方が多い。ディスカッションの素材を提供するのが私の役割です」

シニア向けレジャー関連施設を起業したいといった院生からの相談もあり、塚田助教授の研究室は活気に満ちている。

教授紹介

つかだ・のりこ1982年(昭和57年)福岡教育大卒。UCLA(カリフォルニア大ロサンゼルス校)大学院修士課程修了。マイアミ大で老年学修士取得、1997年(平成9年)UCLAでPh・D取得。UCLA非常勤研究員、非常勤講師などをへて、2011年日大大学院グローバル・ビジネス研究科助手、2013年から助教授。

絆を強めた海外留学体験オックスフォード大学(1993年6月、産経新聞)

皇太子殿下、雅子さま

海外の名門大学で青春を過ごされたお二人

皇太子殿下は英オックスフォード、雅子さまは米ハーバード-。海外の名門大学で青春を過ごされたお二人。雅子さまは、外務省勤務時代にオックスフォードにも留学された。こうした共通体験が、お二人のきずなを強めたに違いない。学問の街でのお二人は…。

皇太子殿下
「聖アルバンズ・クウォッド」

オックスフォードの中心街は1・5キロ4方ほどの広さ。植物園に近いマートン・カレッジの1角、「聖アルバンズ・クウォッド」と呼ばれるチューダー朝(15-17世紀)風学寮の最上階(3階)の、寝室と居間だけの小さな空間が皇太子さまの「城」だった。ここで、1983年(昭和58年)6月から1985年(昭和60年)10月までの約2年半を過ごされた。

ベルギー製手作りチョコレート

1983年(昭和58年)6月から1985年(昭和60年)10月までにオックスフォード大学に在学し、「週に3、4度はヒロ(殿下)の部屋を訪れた」という米カリフォルニア州サンディエゴ在住のポール・ワットリーさんは、部屋にいつもふんだんにあった差し入れのベルギー製手作りチョコレートの味が忘れられない。「テレビが2台あり、一緒によくニュースを見たものです」

パブではビター

皇太子さまはふつうの学生としてふるまわれた。街の「ターフ・タバーン」や「キングス・アームズ」といった居酒屋では他の学生たちと同様、ビター(ホップのきいた苦い生ビール)を注文し、つまみは塩と酢味のきいたクリスプ(ポテトチップス)だった。

中世以来の歴史的建造物

オックスフォードは8世紀には修道院が建てられていたという古い街。丸天井が特徴的なセント・メアリー教会や毎夜101回の鐘を鳴らすクライスト教会の塔など、中世以来の歴史的建造物が立ち並ぶ。修復された14世紀の宿屋が今は眼鏡店やブティックになっていたりする。

自由行動を満喫

カレッジの正門警備員、ジョン・マーフィーさんが「殿下は毎日自転車を乗り回されていた」と証言するように、皇太子さまは自由行動を満喫されていた。好物のインド大衆料理店が多い街はずれにもよく足をのばされた。

「ブラックウェル」

皇太子さまの研究熱心は教授たちの誰もが認めるところだが、ワットリーさんは「ヒロはオペラをよく鑑賞していました。そして2日に1度は『ブラックウェル』に立ち寄っていましたよ」と言う。

「ブラックウェル」とは、オックスフォード名物の書籍・レコード店だ。

雅子さま
疲れいやす風景

雅子さまが1988年(昭和63年)9月から1990年(平成2年)6月まで留学されたベリオール・カレッジは、皇太子さまのマートン・カレッジから北西へ500メートルほど離れたところにある。マートン・カレッジと並ぶ最古の学寮の1つ。通りに面した正面入り口の木製扉はいかにも学問の府としての年輪を感じさせる。

「お妃候補」

雅子さまは「お妃候補」として取材攻勢にさらされていた時期であり、かなり窮屈な毎日であったようだ。しかし、雅子さまを教えた教授の1人は「ふつうの人間ならまいってしまうような状況の中でも、感情を懸命に抑えていました。自分を見失わない人だと思った」と感心する。

強い印象を残した女性

偶然だが、皇太子さまを知る別の教授の友人夫妻宅に雅子さまが寄宿されていた時期があった。「知的な女性であるのはもちろんですが、会った人のすべてに強い印象を残した女性です」とこの教授らは言う。

社会学研究センター

雅子さまは国際関係論に心血を注がれていた。ベリオール・カレッジだけでなく、300メートルほど離れたところにある社会学研究センターにもよく通った。小さいが、雨が降った時など青い屋根がよく映える建物だ。

街全体が博物館

オックスフォードは街全体が博物館である。英国最古の「アシュモレアン博物館」(1683年設立)があり、「ボドリアン図書館」は世界の近代図書館の原型ともいえる。街は緑に包まれ、テムズ川とその支流にはボートが浮かぶ。

気分転換

皇太子さまと同様、雅子さまもまた、こうした風景に身を置いて気分転換をはかられたに違いない。

【オックスフォード大学】
多くの伝説

起源には多くの伝説があり、アルフレッド大王(1849-1899年)の創設説などが有名。12世紀にパリ大学から来た神学者がオックスフォードの地で講義を行ったとの記録もある。

カレッジ(学寮)制度
居住の場を提供

カレッジ(学寮)制度は、教授・学生たちに居住の場を提供する意図から始まった。ユニバーシティ・カレッジの1249年創設説もあるが、最近では皇太子さまのマートンか、雅子さまのベリオールを最古とするのが定説だ。

女性専用のカレッジ
5つのカレッジで共学を認める

その後、20世紀に至るまで次々とカレッジが誕生し、現在は計45にのぼる。最新は1981年のグリーン・カレッジ(医学専攻のみ)。女性専用のカレッジができたのは19世紀以降。1970年代から5つのカレッジで共学を認めるようになった。

数多くの著名な出身者
ウィリアム・ハーベイ博士など

著名な出身者は数え切れない。マートン・カレッジには血液循環の発見者、ウィリアム・ハーベイ博士(1578-1657年)や詩人のT・S・エリオット(1888-1965年)ら、ベリオール・カレッジには経済学者で「国富論」のアダム・スミス(1723-1790年)をはじめ、現役の政治家ではヒース元首相らがいる。